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プラチナの歴史

プラチナは約20億年前に地球に衝突した隕石が地殻を破り、プラチナを豊富に含む溶岩層が形成されたと言われています。

有史以来の総生産量は推定約5,100トンで、一辺が6m四方の立方体の箱に納まる程度の量。これは、金の約1/30の量にすぎません。

また、プラチナの含有量は原鉱石1トンから約3gしか採取できないという非常に希少価値の高い貴金属です。

 

でも実は、プラチナは科学的にかなり安定し、シルバーより融点が高いため、14世紀ごろスペイン人による南米への侵略の際に、当時ヨーロッパで珍重されていた銀と勘違いされて略奪され持ち帰られたのですが、銀よりも融点が高いプラチナは銀用の加工設備では溶かすことができないので、当時は「使えない銀」として大量に捨てられていました。

 

その後、錬金術が発達した時期に入りました。

ヨーロッパの錬金術師たちによって鉛にプラチナを混ぜると金のように見えるということが発見され、プラチナの価値がだんだん認められてきました。

18世紀になって、プラチナは貴金属と分類され、スペイン王のルロス3世とフランス王のルイ16世に「王のみにふさわしい金属」と評価されて、色んな宝飾品を作らせていたそうです。

 

ちなみに、日本人がプラチナに出会ったのは江戸時代末期のことです。

1700℃くれいの高い融点を持っているプラチナに対し、金工家である村松万三郎は1891年に融解成功しました。

その後、日本の宝飾デザインに大きい影響力を持っていた、ミキモトのカタログ冊子「真珠」の第四号には、「白金(プラチナ)製」と明記された首飾が掲載されています。

「真珠」をはじめ人気になりましたが、人々にプラチナの美しさを印象つけたのが、大正6年(1917)に貞明皇后が国産のプラチナティアラをおつけになってからです。

それで、日本のジュエリー水準がだんだん高まって、1937年のパリ万国博覧会にプラチナ製の帯留め「矢車」を出品し、技法の良さを世界へ伝えていました。


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